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明応の津波と林叟院
今から500年ほど前、小川に林雙院というお寺がありました。このお寺は法永長者と呼ばれた小川城主の長谷川正宣が、賢仲というえらいお坊さんをまねいて建てたものです。
あるとき、お寺に不思議な年老いたお坊さんが訪れ、賢仲に「ここは危ない。お寺を移す方がよい。その場所を教えましょう」と言って、賢仲を連れて坂本の山のふもとまで行くと、「この地に」と指さしまた。賢仲があたりを見渡したのちに振り返ると、不思議なお坊さんの姿はなく、お坊さんのいた場所には、ひとつの大きな石がありました。
賢仲は、寺に帰ると早速これを長谷川正宣に伝え、急いでお寺を移すことにして、今の場所に新しく林叟院が建てられました(異叟=不思議な老僧が指した場所のため、寺名の「林雙院」を「林叟院」とした)。不思議なお坊さんが指さした場所にあったという石は、今でも林叟院に登る石段の大きな杉の根元にあり、「山神血脈石」と呼ばれて大切にされています。
林叟院が今の場所に移った次の年に明応の大地震が起こり、津波にあって元のお寺があったあたりは海に沈んでしまいました。
大正時代までは、舟の上から海の中をのぞくと、林雙院の石垣や建物の跡が見えたそうです。
山神血脈石(林叟院境内)
林叟院旧跡(小川港)
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ページ更新日:2024年4月18日