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保福島の大井さんと疫病本多
今からおよそ五百年ほど前、今川氏が駿河国に勢力を誇っていたころ、藤枝の田中に城が築かれ、城内に氏神さまがまつられていました。しかし、この城が武田氏の手にわたると、この氏神さまは保福島というところへ移されました。それからは、土地の人たちによってまつられてきました。これが、保福島の大井神社です。
江戸時代になると、田中城の殿様も、大井神社はもとお城の中にあった氏神さまだったということで、おまいりするようになりました。
ある年、殿様の本多正矩(ほんだまさのり)が江戸詰めのとき、殿様をはじめ、家来の人たちや、江戸の町の人々が疫病(伝染病のような流行病)にかかり、大さわぎになりました。、このとき田中にいた家老は、さっそく大井神社におまいりし、そこでいただいたしめなわを江戸に送って、悪い病気をおいはらったそうです。このため、疫病本多さんと言われて、江戸でも有名になったそうです。
さて、毎日のように遠州から藤枝の宿に通う馬子がいました。この馬子は信仰があつく、大井神社の前を通るたびに必ずおまいりして、しめなわをもらいました。そのため、この地方に悪い病気がはやり、みんなが病気にかかったときも、この馬子の家族はふしぎに病気にならなかったそうです。
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ページ更新日:2017年3月18日