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石津の水天宮
四月五日は、石津の水天宮さんのおまつりです。この水天宮さんは、文久二(1862)年に、九州の久留米にまつられていた神様を分けてもらったもので、船に乗る人たちの守り神として、信仰されています。
さて、水天宮さん(まつってある神は、言仁尊〈ことひとのみこと・安徳天皇〉)をここにまつったのは、こんなことからです。
安政三(1856)年の春、江戸の材木商人の野口庄三郎と手代の伊藤吉弥が、御用材(幕府が使う材木)を集めるためにこの地へきました。
大井川をくだり、木屋川を利用して木材を流し、石津荊島(ばらじま)の貯木場(木材をためておくところ)に集めて、石津港から江戸へ送っていました。
ところが、その年の八月二十五日、大あらしがやってきて、この貯木場はこわされ、山のように積んであった材木は、全部海に流されてしまいました。
野口、伊藤の二人の商人や、村の人たちはあわてました。そして、遠い地にまつられている水天宮においのりをしました。するとふしぎなことに、風向きが一夜のうちに変わって、流された材木が全部近くの岸に打ち上げられました。
この神様のお助けに喜び、商人や村の人たちは相談して、新しくつくる貯木場のところへ水天宮をまつることにしました。
そして、文久二年、江戸の野口庄三郎の手代の田中籐右衛門という人が、久留米藩主の有馬氏の屋敷から、水難除けの神様を分けてもらい、ここにまつりました。
それ以後は、水難除けや安産の神として信仰を集めています。なかでも漁師たちの信仰があつく。漁が少ないときは、お札を竹のつつに入れて海へしずめたり、海に物を落としたときは、お札の流れた方向をさがすと見つかるといわれるなど、豊漁や海の安全を守っています。
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ページ更新日:2020年8月26日