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焼津神社のお面さん
毎年夏に行われる焼津神社の荒祭りには、お面さんと呼ばれる猿田彦(さるたひこ)のお面が登場します。このお面には、こんなお話が伝えられています。
江戸時代のことでした。焼津村に村松さんという、たいへんソロバンのじょうずな人がいました。村松さんは、江戸の町でソロバンを教えたいと思うようになって、ソロバンひとつを持って出かけていきました。
江戸のあちこちでパチパチとソロバンを教えているうち、何年かが過ぎ、やがて焼津に帰ることになりました。村松さんは、「江戸のみやげに何かよいものはないかなあ。」と、あれやこれや考えたすえ、能面づくりで有名な出目右満(でめすけみつ)にお面を作ってもらうことに決めました。
右満は村松さんの願いを気持ちよくききいれて、いっしょうけんめいに心をこめて猿田彦の面をほりました。村松さんはこのお面をみやげにして、焼津に帰り、焼津神社にさしあげました。
いっぽう、江戸の右満の身には恐ろしいことがおこっていました。右満は自分でもたいへんよくできたと思った猿田彦の面を村松さんにゆずってしまい、とてもさびしい気持ちになっていました。そこで、前の面よりもっとよいものを、もう一面ほろうと思い、ふたたびノミをふるっていました。ある夜、右満の仕事場をのぞく一人の怪しい男がいました。男はいっしょうけんめいに面をほる右満のうしろにしのびよると、刀を抜き、頭の上にかまえました。右満が人の気はいに気づき、ふり返ろうとしたとき、右満の右がわに刀がふりおろされ、右満の右うでは切り落とされてしまいました。この男は右満のうでまえをねたんで、面づくりができないようにしてしまったのです。
この作りかけの面は、赤くそまったまま、奈良の正倉院におさめられ、名人出目右満の悲しい運命を今に伝えています。そして、村松さんの持ち帰った猿田彦の面は、今でも焼津神社のお祭りにその姿をあらわしています。
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ページ更新日:2017年3月18日