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永豊寺の雷除けの墓
小川の立小路にそったところに、永豊寺というお寺があります。ここに、屋根ととびらのある、めずらしいお墓があります。たて横それぞれ一メートルぐらいで、とびらには文字や天狗の羽根、それにぶどうのようなものが彫られています。お墓の中には、いくつのも小さな五輪さん(五つの石をつみ重ねた塔)が入っています。このお墓は小川の小梁さんという家のものです。このたいへんかわったお墓には、こんないい伝えがります。
小梁さんのご先祖は、たいへん雷がきらいで、少しでもゴロゴロと鳴りだすと、夏の暑いときでもふとんをかぶり、冷汗をかいてふるえていたそうです。そこで、ご先祖さまは、死んでからも雷さんにいじめられるのはたまらないと思って「わしが死んだら、雷さんが落ちてもだいじょうぶというお墓をつくってくれ。」といい残しました。こういうことがあって、こんなにじょうぶなお墓ができたということです。
さて昔から雷が鳴ると「くわばら、くわばら」といったものです。陸にいる人は「くわばら、くわばら、海へ行け」といい、海で働く漁師たちは「くわばら、くわばら、山へ行け」というそうです。
これはどうしてでしょう。くわばら(桑原)という所は、摂津国(今の大阪府、兵庫県の一部)にあり、こそに銀生寺というお寺がありました。ある年の夏、たいへん雷が鳴り、このお寺の井戸に雷さんが落ちましたこれを見ていた和尚さんは、すぐに井戸にふたをしてしまいました。ふたをされてしまった雷さんはなかまのいる空に帰ることができなくなり、こまってしまって、「これからは、ぜったいにこのくわばらには落ちません。」と和尚さんにあやまり、許してもらったそうです。こんなことがあってからは、どこの土地でも、雷が鳴りだすと「くわばら、くわばら」というようになったそうです。
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ページ更新日:2013年2月16日