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旗かけ石と徳川家康
東益津小学校の北東の神社前に、しめなわをしてある大きな石が二つならんでいます。これが旗かけ石です。旗かけ石の名前は、徳川家康が、この石に旗を立てたことからついたものだといわれています。
天正十(1582)年ころ、徳川家康は、武田軍がいる花沢城や田中城を攻めました。このとき石脇の原川新三郎の家を本陣とし、この旗かけ石の神にも戦いの勝利をおいのりしました。
二年のちの戦いのときには、家康は新三郎に対して、十七か村の十五歳から六十歳までの男子一人残らず集めるように命じました。集まった人は千人ほどだったといいます。
その後、天下を統一した家康は、二代将軍に職をゆずって、駿府に住みました。そして、しばしば原川家を訪れました。そのとき、原川家の門前の大きな石に旗を立てて、その力をしめしたといいます。
この石を「旗かけ石」というのも、こんな言い伝えがあるからです。また、家康が馬をつないでおいた松がありますが、これは「駒つなぎの松」とよばれています。原川家は、たいへん広い屋敷で、外門から中門を通って家の裏までは五百メートルもあったといいます。
ところで、この旗かけ石は、家康のときより、もっともっと昔から有名であったともいわれています。それは、旗かけ石の前にある道は、奈良時代には国道となっていて、ここから山へ向かう旅人は、この石に旅の無事をおいのりしただろうと思われるからです。この石は、古代には神のやどる石として信仰されていたのです。そして、お祭りの日にはのぼりのような旗をここに立てたのかもしれません。
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ページ更新日:2022年3月19日