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元禄の津波と鳴子松
今から300年ほど前、元禄12(1699)年の夏のことです。このあたりでは、何日も雨がふりつづき、すこしもやむようすがありませんでした。8月15日の午後6時ごろ、急に雨が強くなり、とつぜんドドドドーッと、雷が落ちたような大きな音と、地ひびきがして、山のような大波がおし寄せてきました。津波です。津波はさいしょは会下之島(今の小川港あたり)を、つづいて田尻村、石津村をおそいました。
人々は、とつぜんの大津波におどろきました。石津村の人たちは、西の与惣次の方に向かって逃げました。若者はおじいさんやおばあさんの手を引き、母親は子どもを背おい、何ひとつ持ち出すこともできず、命からがら逃げました。
もう少しで与惣次というところまできたときです。そこに一本の大きな松がはえていました。村人たちはすぐ後にせまった波から、なんとか逃れようと、あらそってこの松の木に登りました。たくさんの人が、それぞれ思い思いのかっこうで、枝をしっかりにぎってぶらさがり、波をよけました。
そのかっこうは、ちょうど鳴子(鳥おどしに使われる仕かけで、枝に小さな竹筒をつけて、ひもで引いて鳴らす)のようであったといわれます。それから、この松は鳴子松とよばれるようになりました。
今では、この松も三代目になり、旧国道150号のわきに植えられ、りっぱな記念碑も建てられています。
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ページ更新日:2013年2月16日