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小泉八雲と浜通り
八雲が滞在した浜通り
「浜通り」は駿河湾に沿って南北に伸びるほぼまっすぐな街道と、その街道を中心に形成された南北約1.5km、東西約0.2km前後の細長い集落を指す名称です。
小泉八雲は夏に焼津を訪れた際、浜通りにある魚商人・山口乙吉の家に滞在していました。焼津滞在中、八雲と焼津の人々との間には温かな交流が生まれました。八雲との縁が深い浜通りは「八雲通り」の愛称で親しまれています。
八雲滞在の家跡の石碑
八雲は1897(明治30)年から1904(明治37)年(明治31年と同36年を除く)の夏の間、ここに滞在しています。この家屋は、1949(昭和24)年9月に静岡県指定史蹟に指定されましたが、1968(昭和43)年9月に明治村に移されたため、現在そこには「小泉八雲滞在の家跡」の碑があります。
新川橋の碑
仙台石に「小泉八雲先生諷詠之地」と刻された記念碑は、1925(大正14)年5月、当時の焼津青年団が大正天皇の銀婚式を記念して、焼津東小学校玄関脇に建てたものです。その後、旧焼津市役所別館前に移され、1984(昭和59)年に現在の場所に移りました。
床屋・進陽軒でのエピソード
乙吉の家の近くの床屋(進陽軒・進藤廣橘方)にヒゲを剃らせたところ、その綺麗な仕上がり、技術に感服し、自分のナイフを研いでもらいました。八雲は、床屋のその巧妙な技術に対し、50銭(当時の研ぎ料は3銭だった)を贈り、床屋から送られた礼状を「日本の総理大臣から感謝状を受け取りましたよりも有難いです」と大切にしたといいます。(明治35年夏)
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ページ更新日:2024年9月14日