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第五福竜丸コーナー
1954(昭和29)年3月1日の早朝、焼津のマグロ漁船第五福竜丸は、ビキニ環礁(かんしょう)北東の公海上で、アメリカの水爆実験に遭遇(そうぐう)しました。長時間にわたり降り続いた放射能灰により、乗組員は全員急性放射能症になりました。同年9月23日、第五福竜丸の無線長久保山愛吉氏は、医師団の懸命の努力と家族や市民の願いもむなしく、不帰の人となりました。
全国各地では、放射能に汚染された水揚げ魚が廃棄され、魚が売れなくなり、漁業界は大打撃を受けました。
福竜丸コーナーでは故久保山愛吉氏の家族への手紙、当時の写真や行政文書、新聞記事などを展示しています。また、2011年2月23日の常設展示室リニューアルに合わせ、漁業コーナーに第五福竜丸の船体模型を新たに設置しました。あわせてご覧ください。
模型船「協同丸」
模型船「協同丸」は、東京大学付属病院に入院していた第五福竜丸の乗組員7名が退院の時、お礼として東大生協に贈ったものです。東大病院では患者の気晴らしやリクリエーションの手助けを東大生協に依頼しており、乗組員たちが退院する際には、お別れ会も主催しました。協同丸はこのときに、乗組員たちが業者に依頼して作り、東大生協に贈りました。
その後、静岡県生協連が東大生協から協同丸を譲り受け、2016年6月23日に焼津市に寄贈されました。
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ページ更新日:2016年6月25日