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宮之腰遺跡
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宮之腰遺跡
遺跡の概要
焼津神社周辺では、昭和の初めごろからたびたび古い土器が見つかっていました。昭和33年(1958)に初めて発掘調査が行われ、約1500年前の古墳時代、この付近一帯には大きな集落があったことが分かりました。そしてこのあたりの古い地名(小字名)から「宮之腰遺跡」と名付けられました。
現在までに15回におよぶ発掘調査が行われ、竪穴住居跡、掘立柱建物跡(倉庫跡か)、井戸跡や祭祀跡などたくさんの生活の痕跡が見つかっています。これらの遺構からは土器を中心とした遺物が出土しており、その量は市内で1、2を争うほどのもので、遺跡から出土した土器は、「宮之腰式」と呼ばれ、当時の年代の指標となっています。
昭和55年(1980)の焼津中学校の体育館建設に伴う発掘調査では、火事で焼け落ちた1棟の住居跡が発見されました。この住居は、縦横に組んだ細い丸木に植物のアシを葺いた壁を持つものであったことが分かり、当時の住居の構造を示す貴重な発見となりました。この住居跡は、歴史民俗資料館の常設展示室に復元されており、見学することができます。
また、この住居跡からは食事用の埦(わん)や調理用の容器などの土器や、珍しいものとして草履(またはわらじ)がそのままの形で出土しています。これは、当時の人々の生活スタイルを考える上で大切な資料となっています。
このほか、平成21年(2009)の調査では、多くの土器が1カ所からまとまって見つかっています。これらの土器の中や下からたくさんの玉類(たまるい)も一緒に見つかり、周りの土が焼けていることなどから、何らかのおまつりが行われたと考えられます。こうした結果から、宮之腰遺跡は古墳時代の人々の生活や社会を知る上で重要な遺跡として知られています。

宮之腰遺跡周辺図

竪穴住居跡出土状況(昭和55年発掘調査)

焼けた住居跡(昭和55年発掘調査)
最近の発掘調査について
焼津体育館建設に伴う発掘調査(令和6年~令和7年(2024~2025年))
令和6年度から令和7年度にかけて、焼津体育館建設に伴い発掘調査を行いました。調査では、竪穴住居跡などの建物跡は確認されませんでしたが、一カ所からまとまって土器が見つかったり、人為的に土器を並べた状態で出土しました。このような結果から、この発掘調査地点は、集落の中心部ではなく、何らかの祭祀(お祭り)が行われるような場所であったと予想されます。

今回の発掘調査地点

発掘調査地点(南東上空から撮影)
発掘調査現場説明会について
発掘調査現場を一般に公開するため、令和7年5月24日(土曜日)に現場説明会を開催しました。当日の資料は、下記からダウンロードすることができます。
現場説明会配布資料(PDF:739KB)(別ウインドウで開きます)

現場説明会の様子
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ページ更新日:2025年11月30日
