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舟形屋敷
所在地
焼津市上新田
解説
舟形屋敷
焼津市を含む志太平野は、大井川によって運ばれた砂礫等が堆積して出来た扇状地であり、古来より洪水の多い地域だった。
「舟形屋敷」は、大井川の洪水から家屋敷を守るために考えられた大井川下流域に多く見られた屋敷構えである。三角屋敷ともいわれ、二等辺三角形や五角形など様々な形があるが、いずれも屋敷の先端を大井川の上流側に向けて、大井川が氾濫した際に少しでも水の抵抗を少なくするよう舟の舳先のような尖った形になっている。
この先端の尖った部分には、高さ1.5~2メートル前後の堤防(ボタと呼ぶ)を作り、そこに松や竹を何十本と植える。このボタの上に墓を作ったり地の神を祀ることも多く、祖先や屋敷神に家を守ってもらおうという願いがこめられていることがわかる。
また、屋敷の周りにも土手を築き、その土手に沿って溝を掘り、水が屋敷へ侵入するのを防ぐ工夫もしている。この溝は、普段は灌漑用水路としても利用された。現在、こうした舟形の形を残す屋敷は焼津市内では上新田地区等に数件残るのみである。
また中島地区にある盤石寺には、江戸時代の境内図が残っており、当寺も昔は舟形の形態をとっていたことがわかる。
舟形屋敷航空写真(上新田地区)
舟形屋敷平面図
ボタと竹藪
屋敷神(地の神様)の祠
舟形屋敷絵図江戸時代(盤石寺蔵)
散居村集落
大井川下流域は、富山県砺波平野と島根県簸川平野と並ぶ日本三大散居村地域といわれている。
散居村とは、広大な平野部に家屋が散らばって点在する集落形態をいう。無秩序に家屋が散在しているわけではなく、平野部に並ぶ自然堤防上や人為的に作られた堤に守られるかたちで家屋が存在している。
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ページ更新日:2022年12月6日