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井伊直孝産湯の井

中里の若宮八幡宮は、井伊家にゆかりの深い神社だといわれています。この神社の近くに、井伊直孝(いいなおたか)産湯の井といわれるものが残っています。この井戸にまつわるお話をしましょう。

直孝の父の直政は、徳川家につかえる十二万石の大名でした。あるときのこと、直政は東海道を通り、岡部宿へ泊まることになりました。そこで、お殿さまをおもてなしする娘をさがしたところ、中里小町といわれる美しい娘がみつかり、お殿さまもたいへん満足で、気にいられたようでした。

その後、その娘は男の子を生みました。この子が後の井伊直孝でした。

直孝は幼いころの名前を弁之助といい、利口な子どもでした。母は弁之助が六歳のとき、いっしょに上野国(今の群馬県)箕輪城にいる直政をたずねました。そして直政が城の外に出るのを待って、弁之助の成長ぶりを知らせたのです。そして、母子は武蔵国(今の東京都、埼玉県、神奈川県の一部)私市の庄屋さんの家に世話になることになりました。


弁之助が十一歳になった年の暮れ、庄屋さんの家に盗人がおし入りました。そのとき、弁之助が知恵をはたらかせ、みごとに盗人をやっつけて、大手がらをたてました。父の直政がこの話を聞き、たいへん喜んで、さっそく母子を城にむかえました。

成人した弁之助は直孝と名を改め、慶長十(1605)年、十六歳のとき将軍家につかえ、慶長十八年に伏見の城を守るほどになりました。その後、兄の直勝が病弱であったので、兄に代わって、父のあとを継ぐことになりました。

寛永六(1629)年、彦根城の殿さまであった直孝は、自分の生まれた所が中里であることを知って、村の社に八幡宮をおまつりしたのです。

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ページ更新日:2017年3月18日

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