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更新日:2021年7月20日

小川城跡

城の歴史

【法永長者の館】

小川城は、古代からの陸の要衝の地である小川に構えられた平城です。

現在の焼津の海岸線から約1km内陸に位置し、海運の拠点であった小川湊にも近く、海陸双方を押さえる位置に築かれました。西北約3kmには徳一色城(のちの田中城)が位置しています。

中世の小川城遺跡は、大きく2つの時代に分けることができます。中世前期には「七郎丸」という地域の有力者を中心とした集落があり、その後、15世紀後半に「法永長者」「山西の有徳人」と慕われた長谷川正宣の拠点となったと考えられます。

江戸時代に記された『駿河志料』には、「長者屋敷小川の西北に当り、三ケ名不動院の前、田中の古土手の跡あり、その跡なり 法永長者の旧跡」と記されています。
この資料から小川城が「土手」つまり土塁で囲まれていたことと「長者屋敷」と呼ばれていたことがわかります。館を取り囲んでいた土塁は、昭和30年代まで残っていたと伝えられており、法永長者の繁栄が人々のあいだに長く語り継がれていました。

小川港航空写真

小川港航空写真

【小川城と法永長者長谷川氏】

長谷川氏の出自についてはよく分からないところが多いものの、法永長者と呼ばれた長谷川正宣からの系譜はつながっています。小説『鬼平犯科帳』に登場する鬼平こと長谷川平蔵は、長谷川氏の子孫にあたります。
長谷川氏は今川氏と関係を結んでおり、文明8年(1476)の今川義忠の死後に起きた家督争い(文明の内訌)の際、義忠の正室北川殿が幼い龍王丸(のちの今川氏親)を連れ、城主の長谷川正宣を頼り小川城に身を寄せていたといわれています。
その後、龍王丸のおじにあたる伊勢新九郎盛時(北条早雲)の活躍により、龍王丸は今川家を相続することになりました。

正宣は、焼津市坂本にある曹洞宗の古刹林叟院の開基(寺院を建てるのに必要な経済的支援をした人)としても知られており、小川城に匿われた龍王丸の教育係を務めたのが、この寺を創建した名僧賢仲繁哲でした。正宣夫妻の墓は、今も林叟院の墓地にあります。

また、正宣の子、長谷川元長は連歌を嗜み、当時一流の文化人であった連歌師の宗長を館に招き、交流を深めるなど、高い教養を身に付けていたと考えられています。

林叟院 

林叟院

長谷川正宣夫妻墓地

長谷川正宣夫妻の墓(林叟院墓地内)

【小川城の終焉】

法永長者といわれた正宣の時代から繁栄を続けた小川城は、武田信玄の駿河侵攻によって廃城となります。武田軍が攻めてきた時、正宣の子孫の正長は、徳一色城にこもっていたようですが、この時、小川城で戦闘があったという記録はみえません。しかし、発掘された小川城の遺物には火を受けたものがたくさんあります。これは、長谷川氏が小川城を引き払って徳一色城に入った時、自ら城に火をかけたか、または進軍してきた武田軍が空の城に火を放ったか、どちらかの可能性が考えられます。

正長は今川義元の死後、徳川家康に仕え、以後長谷川氏は徳川家の旗本として続くことになります。

発掘調査

小川城遺跡の北側には道場田遺跡が接しています。2つの遺跡では昭和56年(1981)以降、土地区画整理に伴う発掘調査が合計32地点で行われ、道場田遺跡で約9,600平方メートル、小川城遺跡で約17,000平方メートルが調査されました。その結果、遺跡は古墳時代から江戸時代までのたいへん豊富な内容を持つことが分かりました。特に、道場田遺跡を中心に発見された古墳時代の方形周溝墓群と水田跡、小川城遺跡の中世城館やその周りの建物群などは全国的にも注目されています。
なお、発掘調査によって道場田遺跡の水田は小川城遺跡の範囲まで広がり、また中世の建物群も道場田遺跡から発見されています。2つの遺跡の範囲では古墳時代にも中世にも、人々が活発に活動していたと考えられます。こうした調査結果を踏まえ、別々の遺跡とされてきた道場田遺跡と小川城遺跡は、今では道場田・小川城遺跡として理解されるようになっています。

小川城反別図

発掘調査でわかった小川城遺構図(昭和6年『静岡県志太郡小川村地番反別入地図』に加筆)

城の構造

小川城は、長辺150m、短辺80mものほぼ長方形の大きな堀に囲まれていたことがわかっています。堀は幅13.5~15.5m、深さ1~2mをはかります。城内には、主殿と考えられる大きな建物や倉庫群などが見つかっています。主殿部は、当時の武家屋敷と同質の構造を持っていました。これは、城主の長谷川氏が、龍王丸を庇護するにあたり、龍王丸が次期今川家当主を担うことができるよう、小川城に様々な武家のしきたりを実行する場としての機能を充実させたためだとも考えられます。

城の外部は、主に南側から東側にかけて遺構が分布し、掘立柱建物、井戸、土坑、溝などが見つかっています。

小川城正面、虎口

館正面の堀、虎口

小川城の内部

小川城の内部は館の主が暮らしていたとされる場所として考えられています。
調査によって、内部は用途に応じた複数の区画に分けられ、中心には当時の戦国大名や国人領主層に標準的な中門楼・主殿・会所を備えた建物があったことが明らかになりました。この区域内には遺構の密度が比較的少ない部分があり、馬場や射場などの広場を伴う空間もあったと推定されています。
さらに板塀や柵列などで囲まれた倉庫群もみられ、館の内部は板塀・柵・門により厳重に警備されていた空間であったと考えられています。
館の中心部分から出土したものには、国内外から交易によってもたらされた陶磁器(青磁・白磁など)が周辺と比べて多く出土しており、経済的に豊かな人々しか入手できない、ぜいたく品が集中的に出土しています。

小川城中心部 

館中心部の遺構

小川城中心となる建物

中心となる建物の遺構

小川城の外部

館の周囲には集落が広がっており、小川城を中心とした道路計画や屋敷割のなかに集落が配置されていたと考えられています。
発掘された集落の中には、鞴の羽口や坩堝が出土している場所がみられ、城下で金属加工を行っていたと考えられています。
また、人々が生活の際に使っていた下駄も多く出土しており、城下に多くの人々が住んでいたと推測されます。
その他には、灯明で使用する油を備蓄していたとされる場所もあり、城の外と内で暮らす人々の必需品を販売していたとも推測されています。
集落の屋敷の中には、国内外の交易で手に入れた陶磁器や茶道具が出土した場所もあり、経済的に裕福な人の屋敷と考えられる建物跡も見つかっています。
このように、城下の集落は金属加工や商業施設、有力者の屋敷などで構成されていました。この他に宗教的な性格を帯びた場所もあります。

小川城外

館外側の遺構

小川城の堀、土塁

小川城は、北西から南東に約150m、北東から南西に約80mもの長大な堀と土塁に囲まれていたことが発掘で分かっています。これらは、防御施設としての機能を有していたと考えられています。
館の外側の堀は幅13.5~15.5m、1~2mの深さを持ち、水を溜めていました。内部には土手状の仕切りが存在しています。これは障子堀と呼ばれ、内部に均等に水を溜めておくための仕組みとされています。
館の内側にも深さ2mの堀があり、高さ2m~3mの土塁によって中心部分を囲んでいたことがわかっています。
土塁は、堀を築き上げる際に生じる多くの土砂を用いて構築されていたと考えられています。

 

小川城堀

館背面の堀

出土遺物

発掘調査によって小川城遺跡からは、様々な遺物が発掘されました。まず注目されるのは、12世紀~13世紀後半代にあたる膨大な山茶碗類と貿易陶磁器です。東遠江地域で生産された素焼きの碗・皿類が多く、墨書されたものもあります。また、瀬戸美濃の天目茶碗・茶臼などの茶道具も見つかっており、茶道の文化がうかがい知れます。貿易陶磁である青磁の花生・香炉・壺類などは、威信財であり、館内部の床飾りに用いられたと考えられます。これは、室町幕府の様式を取り入れたことを物語っています。

この他、木簡(木札)や舟形・魚形などの形代が多く出土しており、城主である長谷川氏や周囲に暮らす人々が様々なものを用いて、現世の利益や来世の幸せを祈っていたことがうかがえます。

山茶碗  

山茶碗・小碗・小皿

小川城陶磁器

貿易陶磁(青磁・白磁ほか)

茶臼 

茶臼

木簡

呪符木簡 

魚形 

魚形

舟形

舟形

所在地・アクセス

焼津市西小川

小川城地図(外部サイトへリンク)

【公共交通機関】

JR東海道本線、焼津駅南口より自主運行バスに乗車、「竪小路団地」下車、徒歩5分

【自動車】

東名高速道路焼津I.C.より10分(駐車場はありません)

現在は、石碑と説明看板があるのみで、遺構を見ることはできません(発掘調査で見つかった遺物の一部は焼津市歴史民俗資料館に展示されています)。

小川城跡

小川城跡

お問い合わせ

所属課室:焼津市生きがい・交流部文化振興課歴史民俗資料館

住所:郵便番号425-0071 静岡県焼津市三ケ名1550(焼津市文化センター内)

電話番号:054-629-6847

ファクス番号:054-629-6848

Email:rekimin@city.yaizu.lg.jp
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