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更新日:2013年2月14日

小泉八雲 その生涯

焼津小泉八雲記念館 

 

誕生~ギリシャ~

小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)は、1850(嘉永3)年6月27日、ギリシャのレフカダ島(ギリシャ本土に接して西側のイオニア海に浮かぶ美しい島)で生まれました。父はアイルランド人でイギリス軍医、母はギリシャ人でした。

少年時代~アイルランド・イギリス~

父の転任でハーンは2歳の時、母と、父の実家のあるアイルランドのダブリンへ移ります。
しかし、異国での生活に馴染むことのできなかった母は、故郷ギリシャに帰り、ハーンが6歳の時両親は離婚します。両親と別れたハーンは資産家で子どものなかった大叔母(父の母方の叔母)に引きとられ、イギリスの学校に入学しますが、遊戯中に誤って左眼を失明。さらに17歳のころ、大叔母の破産という悲劇が訪れ、その後彼のさすらいの人生が幕を開けます。

アメリカ時代

1869(明治2)年、ハーンは新天地を求めイギリスのリバプールから移民船に乗ってアメリカへ渡ります。まず始めにオハイオ州シンシナティに落ち着き、貧しい生活に苦しみながらも勉学に励み、やがて新聞記者となりその才能は広く認められるようになります。1877(明治10)年、大都市ニューオーリンズに移り、1884(明治17)年、この町で万国産業綿花博覧会が開かれた際、日本から出品された美術工芸を通じ日本の心に触れたことがハーンと日本を結ぶ上で大きな意味を持つこととなります。

 

  

日本へ

1891(明治24)年、松江の元士族の娘・小泉セツと結婚し、翌年には松江を去り、熊本の第五高等学校の教師となります。1894(明治27)年、神戸クロニクル社の記者となり、そして1896(明治29年)年、45歳で英国より日本に帰化し“小泉八雲”となるのです。帰化後、東京帝国大学(現東京大学)の文学部講師として神戸より上京し、その翌年1897(明治30)年の8月、初めて焼津を訪れ、焼津の海が大いに気に入り、以後亡くなるまで6回もの夏を焼津で過ごすこととなります。

八雲は東京帝国大学に7年間在職した後、1904(明治37)年、早稲田大学文学部の講師となりますが、その年の9月26日、心臓発作のため54歳で死去、後に彼の日本文化に与えた功績により従四位が送られました。
法名「正覚院浄華八雲居士」。墓は東京雑司ケ谷にあります。

小泉八雲の写真

晩年の小泉八雲 

問合先

焼津小泉八雲記念館

開館時間

午前9時~午後5時※入館無料

休館日

毎週月曜日(月曜日が祝休日のときは以後の最初の平日)

年末年始(12月29日~1月3日)

展示替期間

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お問い合わせ

所属課室:焼津市教育委員会生涯学習部文化財課小泉八雲記念館

住所:郵便番号425-0071 静岡県焼津市三ケ名1550(焼津文化センター内)

電話番号:054-620-0022

ファクス番号:054-620-0022

Email:koizumiyakumo@city.yaizu.lg.jp

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