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更新日:2013年2月14日

 

焼津小泉八雲記念館 

八雲と焼津

焼津の海と八雲

小泉八雲とその家族が焼津を最初に訪れたのは1897(明治30)年8月4日のことです。

水泳が得意だった八雲は、夏休みを海で過ごそうと、家族を連れてよい海岸を探していたのです。

まず八雲一行は舞阪の海を訪れたのですが、海が遠浅で海水浴には適しているが水泳には適さないと気に入りませんでした。

その後、海の見える駅で降り、順番に見て行こうということになり、降りた最初の駅が焼津だったのです。焼津の深くて荒い海が気に入った八雲は、海岸通りの魚商人・山口乙吉の家の2階を借り、以後、1899(明治32)年、1900(明治33)年、1901(明治34)年、1902(明治35)年、1904(明治37)年と、亡くなるまでほとんどの夏を焼津で過ごしました。

八雲が描いた絵

八雲が描いた焼津海岸の絵

…陽がカンカン照ると、焼津という古い漁師町は、中間色の、言うに言えない特有な面白味を見せる。
まるでトカゲのように、町はくすんだ色調を帯びて、それが臨む荒い灰色の海岸と同じ色になり、小さな入り江に沿って湾曲しているのである。

(『霊の日本』所収「焼津にて」より小泉八雲著村松眞一訳)

山口乙吉との思い出

山口乙吉の写真乙吉のだるまの写真乙吉のだるま

山口乙吉

八雲が焼津を訪れるようになったのは、焼津の海が気に入ったことのほか、八雲が夏の間滞在していた家の魚商人、山口乙吉との出会いがあったことも大きな理由でありました。純粋で、開けっ広げで、正直者、そんな焼津の気質を象徴するような乙吉を八雲は“神様のような人”と語っていました。

乙吉は八雲を”先生様”と呼び、八雲は乙吉を “乙吉サーマ”と心から親しく呼んでいました。

「……『乙吉さん、子どもたちが、だるまさまの左目を叩きだしたのですか。』
『へぇ、へぇ』と乙吉は私の気持ちを察して含み笑いをすると、とびきり上等の鰹を俎板 の上へ持ち上げた。
……略……
『こんど大吉の日がありましたら、そのときに、もう片方の目も入れてやります。』」
(『日本雑記』所収「乙吉のだるま」より小泉八雲著村松眞一訳)

焼津での日々

普段はひたすら机に向って物書きに専念していた八雲は、焼津では一緒に来ていた長男・一雄に水泳を教えたり、乙吉たちと散歩に出かけてトンボを捕まえたり、お祭りを眺めて大喜びしたりとのんびりと楽しい一時を過ごしました。作家・小泉八雲ではなく、家族を持つ父親としての小泉八雲が焼津にはいたのです。

八雲が描いたの船のスケッチ八雲が描いたスケッチ

八雲の焼津でのスケッチ

問合先

焼津小泉八雲記念館

開館時間

午前9時~午後5時※入館無料

休館日

毎週月曜日(月曜日が祝日のときは以後の最初の平日)

年末年始(12月29日~1月3日)

展示替期間

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お問い合わせ

所属課室:焼津市教育委員会生涯学習部文化財課小泉八雲記念館

住所:郵便番号425-0071 静岡県焼津市三ケ名1550(焼津文化センター内)

電話番号:054-620-0022

ファクス番号:054-620-0022

Email:koizumiyakumo@city.yaizu.lg.jp

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